なんとなく気になっていてkindleで購入しました。
読み進めるのが止まらない。。書かれていることがすごく合点が言って全部引用したいくらいですが、そうすると本が売れなくなりそうなので要点で心に響いたBest3くらいを厳選して書きたいと思います!
ノリが悪くなること
深く勉強するというのは、ノリが悪くなることである。
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勉強とは獲得ではないと考えてください。
勉強とは損失することです。
勉強=スキルの獲得というイメージを持ちませんか?
私はまさに勉強って自分にいろいろ身につけていくものだから装備というか、そういうものだと思っていましたが、本書では勉強とはこれまでの自分との破壊、ということです。
自己破壊
何のために自己破壊としての勉強などと恐ろしげなことをするのか?
それは自由になるためです。
どういう自由か?これまでのノリから自由になるのです。
確かに、今までと全く違う勉強をするとき、したとき、(それが深くなって行ったとき)周囲と会話が合わなくなってきます。昨日まで普通にドラマの話をしていたのにプログラミングの勉強をしていると、だんだん言葉の端々にIT用語が浸食し始め、周りの友達が「おや?」と思い出す。けれど、それをやっていない友達は全くわからない。こっちも「あれ、これも知らないんだ?なんかうまく会話が噛み合わないな。」何てことが出てくる。
そういった経験はありませんか?
かといってその人たちが翌日から友達じゃなくなる、とかそういうわけではないんですが。。同調してたものが同調しなくなってくる。
ノれなくなってくる。そういう経験があります。
ああ、そういうことなのか。と思いました。うまくそれを言語化しようとも思わなかったけれど、確かにノリというのはしっくりきました。
勉強することで周囲と同調する能力を損失が起こる。それで、ハッとしました!
不自由、縛りが快楽の源泉になる。これは人間のすごいところです。嫌なことを最低限にでも楽しもうとしてしまうーこれを精神分析学ではマゾヒズムと呼びます。人間は基本的にマゾなんです。
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根性論とは、強力なマゾヒズムに他ならない。
勉強することによっての周囲との合わない感。モヤモヤ感
有限性と無限性
無限の可能性の中では、何もできない。行為には有限性が必要である。
私たちの課題は、有限性(=不自由)との付き合い方を変えることです。
有限性を完全に否定するものではありません。有限性を引き受けながら、同時に可能性の余地をもっと広げるという、一見矛盾するようなことを考えたのです。有限性と付き合いながら、自由になる。
え、自由になるために勉強するって言ってたじゃん?
しかし、大きく考えると
無限=自由とこの場合捉えたとして、
そうするとなかなか次の行動を決められない。
例えば選択肢さえなくて、材料が鬼のように散らばっていて、なんでも作れるけどアイスクリームこの中から作ってあげるよ。
って言われてもえーと、えーと、ってなるけど。
サーティワンのアイスクリーム屋さん(31種類)の中からならある程度迷っても割とすぐにチョイスできますよね。
選択肢という有限性があることで選び取ることができる。
そういうイメージ、なのかな、有限性とはいってもかなりの数があるし。
勉強をするとは既存の中のものから選び取るということなのだろうかと考えたんだけど、ちょっと違うだろうか。
まとめ
うまくまとまらないのだけれど、言語化してみるのって本当に難しいと思う。
それに、普段の言い回しや考えていることとは違う次元のことを知れる。そういう意味で本を読む行為というのも一種の自己破壊であるなと考えます。
後半は難しくてね〜さらにまとまらないので気になった方は買って読んでください!