さっき作家の藤沢あゆみさんのブログを読んでいて
あ!!
今日1月17日。
22年前、どうしてた?|藤沢あゆみオフィシャルブログ Powered by Ameba
阪神大震災が起こった日。22年前。
もう22年も前になるのか。。。
私は当時中学2年生で部活が楽しくて仕方がない時期だった。
その前の日も学校は休みだったけれど部活をしていていつものようにみんなと夕方に分かれて、普通に朝が来るはずだった。朝練に行くはずだった。
でも朝練どころではなかった。
たった一晩で人生が変わってしまった人、命を落としてしまった人、家をなくしてしまった人がいたの。
私の家は結構頑丈なマンションだったので壁にひびが入ったくらい、食器類や家具が壊れただけで済んだけれど、その後ガス水道電気のすべてが揃うまで2ヶ月以上かかった。
(ちなみにその日、たまたま父が出張中で不在でした。父の寝ていたところにテレビが落ちてきてたので、居なくてよかった!)
徒歩15分ほどの親戚のお家には比較的早くインフラが整ったものの
我が家はなかなか来ず、水道が通るまで公園に水を汲みに行ったり自衛隊の配給をもらったりもした。
お風呂に入れないから親戚のお家にお風呂に入りに行ったりした。
学校は全開だったけど落ち着いたら仮設校舎ができた。食料はほとんど困らなかった。
私はただただ友達と部活がしたかった。
両親が居たので(父の会社は大阪だったので震災の被害には合わず)経済的な心配などなかったし、受験の時期でもなかったので勉強のことも一切気にならなかった。
練習していた体育館も潰れてしまい、学校自体の再開の目処もすぐには立たず、友達や顧問のお家も全壊や半壊してしまっていたので言い出せなかった。
もちろん「それどころではない」というのは中学生だったのでわかっていたけれど、やっぱりこんな時でも友達と部活がしたいと思った。それはなんか悪いことを考えているように当時は考えてしまっていたかもしれない。「みんな大変な時なのに私だけこんなことを思うのはよくないことだ」と。
ただ、当時は現状のインフラが整ってない状態や状況を嘆くより「部活したいなあ」という思い(普通の日常ってなんて幸せなんだろうと当時思った)があったので壊れたマンションや学校を見てもそこまで悲しむことはなかった。
どうもテレビでは震災で過剰なまでの悲しみを演出してたような気がしてならなかった。
もちろん家族や友人が亡くなったりした人もいると思うけれど、テレビって煽りすぎじゃないかなあと感じた。
生存確認の情報を流すのは必要としても、どうもここまでニュースばっかり流すのってどうなの、と。
けれど、そんなこと思ってはいけないとその時また思った。
本当は面白いバラエティとかアニメとか見たかったんだけど。
あの自粛とかいうの、当時の私にとっては良い迷惑だった。
私だって尊敬してたOBの先輩が亡くなったり、インフラが最低だったり諸々大変だったけど。
暗い気持ちの時に助長させるようなテレビやラジオは本当に辛かった。
暗い気持ちの時は楽しいことをしたほうが良いし
大人はその時「家がない人もいるんだからそんなこと言っちゃいけません」てなことを言ってたりしたのだけれど。
それとこれは別だよなー
同情すれば良いの?悲しめばいいの?
でも同情して悲しんでたらその人の家建ててあげれるの?先輩生き返るの?
この間の東北の震災も含めて私は2回も大地震を経験してしまったので、やっぱり好きなことをして生きてても嫌なことして生きててもある日急に死んでしまったりするので
好きなことして生きてる方が何かといいなって体感でわかってる。
(わかっているけど人間時間が経つと忘れてお金のためだけに嫌な仕事とか働いちゃったりするんだけど)
そういうわけで、こういう時に思い出して欲しいと思う。
冥福を祈ることも大事かもしれないけど
いつ死ぬかわからないよね
あの時私はなんて思ったのかな?
好きなことして生きたい
死ぬなら好きな人のところで死にたい
後悔せずに生きるにはやっぱり食べたいもの一つ、会いたい人一人でも自分の願いを叶えながら行動していかねばなあ〜って。
ふと思ったので書いてしまいました。
先輩、今生きてたらアラフィフやなあ、、、。
なんて。
思いつくままだーーっと書いてしまたので、後でまた見直したら恥ずかしいかもな文章でした!