最近、二度寝することを止めるのをやめました。
というか、「ああ、今日も二度寝しちゃったなー」
というような、起きた瞬間から自分にダメ出しするみたいなことをやめました。
「二度寝万歳、よく寝た、ゆっくり休息できて良かった」という風に。
もちろん、仕事あるのに、、とか、勉強しないと、、みたいな時は二度寝もできないので、そうではない時は
もう自分の思うがままに寝てやろうと腹をくくりました(笑)
そうすると、結構ハッピーに一日が始まることができます。
寒さが辛くて働きたくない、、怠惰な日常を送るミニマリスト - 人生をシンプルに生き延びたいミニマリストのブログ
自分への許可を徹底する
二度寝に関してだけでなく、最近「許可をすること・許すこと」の意味について考えます。
よく精神世界の本とかで「許容する」とかなんのこっちゃ、、、だったのですが、
望みを持つこともそうだし、それ以外にこういった日常生活のちょっとしたことに「まあ、いいじゃん!」って自分で許してあげることも含まれるのかなと思います。
特に真面目な人ほど、子育てだったり、人間関係だったりで「やっぱり手料理を続けないと」「私が見てないと」「こんなこと言ってしまった自分はダメだ」
等々考えて自分を責めてしまうことがあると思います。
例えば他人を傷つけてしまうことは、反省しなくてはいけないと思うけれど、
それ以上に必要のないところで自分も傷つけてしまっているのではないでしょうか。
そうしたところで自分を自分で許してあげるというのが、自分への許可ということではないだろうか。
そうすることで随分生きやすくなるんじゃないかと最近ふと思いました。
というわけで私は二度寝を責めないことにしました!
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自分の捉え方次第で見える現実が変わる
私は、うまく説明できないんだけど、同じことでも自分の捉え方によっては見え方が違ってくるなと常々思います。
よくある、半分水の入ったコップを見て、もう半分しかない、orまだ半分もある。
という捉え方です。
お金も恋愛も仕事もなんか全部それだなーと。
ちょっとでもあるものに感謝したり、ないないって言わない。
あ、恋愛だともしかしたらちょっと古いですけど、この世に男性は35億、のアレですよ。ワールドワイド。
最近はもっと飛躍して、なんかどうせ死ぬから、まあいっか。
みたいな考えになることが多くなってきて
執着心がさらに無くなりました。
もしかしたらこれは私が独身だから言えることなのかもしれないんですけどね。
お金や仕事、恋愛の執着心が少し剥がれたかな、と感じました。
でもそうすると謎に入ってくるという不思議です。
自分の感覚としては、執着って重い考え方を捨て去れば捨て去るほど、気分が軽くなるから、いい感じのものがまた入ってくるスペースができるの、かな?って思ってます。
言語化するの難しいですね。
全部捨てちゃいましょう。
個人的にオススメなのは、仏教系の本を読むと色々気づきを得られます。