私には左腕にタトゥーがある。
日本でもタトゥー/刺青がある人は増えてきてますが、一般的な会社や学校だとまだまだ眉をひそめられます。
- 消えないよ
- 多少の批判は受け流せるか否か
- 批判する人は押し付けないで
- 私がタトゥーを入れた理由
- ファッションで入れようとしてない?本当に大丈夫?
- 後悔はしていない!
- だけど入れたい人はよく考えてから入れよう(特に日本で生きていくのであれば)
- どこにでもいる説教おじさんはスルー
消えないよ
この先数十年後、医学が発達すれば完全に皮膚再生ができるのであればタトゥーが綺麗に消せるかもしれません。
今の先端の技術では綺麗には消えません。
だから「なんかカッコイイ」くらいであれば入れずにタトゥーシールやラメタトゥーなどで十分だと思います。
今の医療技術だとやはり皮膚の移植や、切開、またレーザーなど皮膚自体がボコボコしてしまって汚くなるのです。だからなんとなく入れたいくらいなら入れないほうがいいと思いました。いろんなことは「やりたいことはやろう!」ってスタンスではありますが、タトゥーについてはよく考えてから入れたほうがいいと思ってます。
多少の批判は受け流せるか否か
特に日本でいきていくとしたら、絶対に批判する人が現れます。
完全に否定してきます。
それを受け流せるのであれば大丈夫!
だけどいろいろイライラしてしまうタイプならちょっと考えたほうがいいかも。
私は割と普段は真面目そうに見られているのでタトゥーはびっくりされたりします。
(しかもトライバルというちょっとイカツイ模様)
批判する人は押し付けないで
タトゥーを批判する人はよく「親からもらった体を。。。」「子供ができたらどうするんだ!」とかいいます。
そんなの本人もよく知ってます。
体に傷をつける、ということで悪く言う人もいいます。
だけどね、私、思うのですよ。
自分の体を掘るのはダメなのに、なんであなたは肉食だったりして他の生物を殺しているのかな?革製品使ってない?
自分はダメだけど他の生き物傷つけていいの?とか
あとはそうですね。いろいろ言われますけどまあいいや。
私がタトゥーを入れた理由
昔からタトゥーに対する憧れがありました。
だけどきっかけがなかったのです。
ある時大好きだった男性にふられました。その時に
「あ、いまだ。強くなれるように、みれば強くなれるようなお守りを彫りたい」そう思いました。
そしてすぐに女性の彫師さんを探してデザインを相談し施術に挑みました。
ファッションで入れようとしてない?本当に大丈夫?
もちろんかっこよさで入れるのもいいけれど
「本当にいいんだね?」と念を押されました。
特に女性だし子供ができたらりした時のことなどもちょっと聞かれました。
だけど私は子供は欲しくない。今は欲しくないだけで将来欲しくなるかもしれない。
だけど今のこの気持ちを大事にしたいんだと伝えました。
私は「強くなりたい」と同時に「印」が欲しかったのです。
私はあまり目立つタイプではなかった。
今知らない場所で死んだら、誰も識別してくれないかもしれない。だけどこの刺青で誰かわかってくれる人がいるかもしれない。
などと(ちょっと病んでますね)考えて。当時は本気でした。
その時の気持ちを本当に尊重したいと思ったのです。
後悔はしていない!
批判はされることはよくありますよ。OLの時は腕の見える半袖きちゃダメって言われましたし。(外資系でも)
だけどそれで私の評価が下がることはありませんでした。最初はびっくりされるけど。
それでテーマパークのパフォーマンスのオーディションに落ちたことはあります。だけど、今考えてみると刺青はそこまで理由ではないと思います。
圧倒的にスキルがあれば現代の技術では刺青を短時間隠すなど大したことはないのですから。
だからだたの落とす言い訳だったと思います。
だけど入れたい人はよく考えてから入れよう(特に日本で生きていくのであれば)
時々「スミ入れたいんですよね〜」という人に会いますが。
そう人に相談するくらいの人であれば入れるのはやめたほうがいいと思います。
多分後悔します。
私自身、このスミは後悔してませんが、それは今の仕事とか環境ありきの意見です。
将来子供が欲しいとか温泉でことわられるとか、いろいろ多少の偏見を受けるというリスクを受け入れられる覚悟があるならば。ぜひとも。
あと、海外だと普通に入れている人が多いのでもっと過ごしやすいですけどね。
日本ってそういうの厳しすぎやしませんかね〜
どこにでもいる説教おじさんはスルー
たまに諭してくるおじさんとかいます。
でもそういう人ってタトゥーにかかわらず結婚だったり、子供だったり、生き方全てにおいて一昔前の「こうであるべき」を押し付けてくるんです。
そういう人に出会った時は切れたり悲しくなったりする前にそっとその場を離れましょう。他人の思考ってのはなかなか変わらないものです。理解しあえるはず、ということは諦めてどうでもいい他人の意見は聞かなかったことにしましょう。